〔最終章〕

 『叢雲青龍祭』当日は、必ず晴れるというジンクス通りの晴天になった。蒼天には雲一つなく、澄んだ空気はそこはかとなく冬の訪れを匂わす冷たさがあった。
 正門上で青龍のオブジェをセッティングしていた遼は、来客用駐車場から学園に向かってくる式典招待客の中に神崎の姿を見つけて梯子を降りた。
「来てくれたんですね、嬉しいです」
「ああ、今日は非番にしてもらったんだよ。この学園は母校でもあるし、卒業以来『青龍祭』には来たことがなかったから……懐かしくてね」
 江里香の思い出が、神崎を学園から遠ざけていたのだろうと遼は思った。
「それで……大貫さんの件はどうなりましたか?」
「田村さんがよく協力してくれているけれど、物的証拠がないんだよ。状況証拠だけで立件することになると思うが、その時はまた君達にいろいろと迷惑をかけてしまうな」
「迷惑だなんて事、ありません。少しでも僕は叔父さんの苦しみをわかってもらいたいんです。そうでないと、田村さんも母さんも辛いと思うから……」
 大方の理由を田村が警察に話してくれたため、遼は辛い話を繰り返す事なく済んでいた。しかし田村も遼も、大貫の精神状態を異常と決めつけたがる裁判には弁護の態度を取るつもりでいるのだ。犯行動機を上手く説明する自信はなかったが、その強い決意に神崎は協力してくれている。
「それにしても見事な青龍だね、僕等の頃はここまで立派な物は出来なかったよ」
 沈んだ空気を払うように、神崎は明るい口調で感嘆の声を上げた。
「デザイン画を描いたのは来栖先輩です。人間的にはともかく、美術的な才能は確かにすごいと思いますよ」
「人間的に?」
 来栖の行動が思い当たり、神崎は笑った。
「裏サイトの件は僕の担当じゃないからわからないけど、厳重注意だけで済んだようだよ。大貫さんを失って、来栖君もかなり気落ちしてたようだ」
 遼も、少し寂しそうな顔で笑う。
「遼っ! 手伝いに来てやったぞ……っと、あれ、神崎さん来てたんですか?」
 数人の友人達と連れだってやってきた優樹に、神崎は手を挙げて応えた。
「久しぶりに学生気分に戻りたくてね」
「へえっ、神崎さんが? じゃあ俺が学園内を案内してあげますよ」
「ありがとう、お願いするよ。ところで須刈君にも会いたいんだけど、どこかな?」
「アキラ先輩はまだ来てませんよ、多分。あの人朝が苦手だから」
 優樹に代わって遼が答える。
「後で聞いた話だが、彼は合気道の有段者なんだって? 優樹君が払い倒されるなんて思わなかったよ」
「ちぇっ、知ってたらあんなに簡単にやられなかったさ」
 優樹は面白くなさそうに呟いた。考えてみれば、以前地下倉庫で優樹に胸ぐらを掴まれたアキラが抵抗しなかったのは、わざとだった事になる。合気道に試合や大会はないが、その強さはどうやら武道部で一目置かれているらしかった。
 神崎が笑いを堪えていると突然、優樹の表情が硬くなり挑むような目付きに変わった。
「そんなに怖い顔をしなくてもいいでしょう、優樹?」
 海を渡る風のように心地よく、心の琴線に触れるような響きのある声が背後から聞こえて神崎が振り向くと、すらりと背の高い、まるで一輪の百合の花のような女性がそこに立っていた。
「何しに来たんだよ、あんたには用のないところだろう?」
「本校の代表としてきたのよ、私の勤めですから。たまには横浜の家に顔を出しなさい、おじいさまが会いたがっていらっしゃるわ」
「真っ平だね!」
 くすり、と、彼女は笑って二人の男子生徒を伴い正門を通っていった。が、足を止めて青龍のオブジェを見上げる。
「目障りな飾り物ね」
 その言葉にまた怒るのではないかと遼は思ったが、以外にも優樹は冷静だった。
「あの人……」
「ああ、姉貴だ。横浜の本校、朱雀校の生徒会長だよ」
 話には聞いていたが、遼も会うのは初めてだ。優樹よりもきつい感じはするが、美しい人だった。洗練された、触れがたい印象を強く感じる。
「あーあ、朝から厭なヤツに会っちまったな。さっさとここを終わらせて、遊びに行こうぜ。そういえば、さっき演劇部の倉持女史がおまえのこと探してたぞ。公演の後でコスプレ撮影会があるからどうしても来いってさ」
「ええっ! 厭だな、それは……。何を着せられるかわからないもの」
「まあ、上手く逃げろよ」
 優樹はそう言うと、オブジェをワイヤーで固定するのを手伝うために梯子を登った。深く溜息をつく遼に神崎が尋ねる。
「優樹君には、随分と綺麗なお姉さんがいたんだね。三年生とは思えないような、大人びた女性だったな」
「優樹は、あまりあの人のことを話しませんし僕も会うのは初めてです。あまり仲が良いようには見えませんでしたね」
「どうやらそのようだね……さてと、僕は優樹君が案内してくれるまでその辺を歩いてみるよ。あと、どのくらいかかりそうだい?」
「そうですね、二十分くらいかな?」
「じゃあ二十分後には戻るよ」
 神崎は正門を通ろうとして、ふっと、振り返った。
「君は、まだ彼女の姿が見えるのだろうか? もし見えるのなら、僕にも教えてくれるかい? 今、どこにいるのか……」
 遼は首を横に振った。
「僕にはもう、見えません。きっと姉さんは、行くべき所に行ったんです」
 神崎の顔が、複雑に歪んだ。が、何かを吹っ切るように微笑み、背を向ける。
 その後ろ姿に遼は詫びた。なぜならまだ、江里香の姿が見えるからだった。それは、明らかに今まで見た残像とは違う……。
(なぜ姉さんは、ここにいるのだろう?)
 正門の前に立つ、江里香の寂しげな瞳が遼を見つめる。
(何かが姉さんを繋ぎ止めているのだろうか……?)
 その時、今までただ黙って見つめるだけだった江里香の手が、ゆっくりとあがった。その指差す方向を見て、遼の身体が凍り付く。
 彼女は、優樹を指差していたのだった。


              〔完〕

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