〔五章〕
     ―1―

 自社ビル裏手の従業員用駐車場に車を止め、非常階段から事務室に入った大貫は、来客を応接室に案内するように告げると三階に上がった。シーズンオフでも店内には多くの客がおり、知人に見つかって時間を取られたくなかったからだ。
 暫くすると、ドアをノックする音がして、女子従業員が一人の小年を伴って現れた。
「ああ水落君、後は私がやるから君は帰ってかまわないよ」
 水落と呼ばれた、長い黒髪の美しい女性は軽く会釈して部屋を出ていった。
「何か、冷たい物でもいかがかな? それとも暖かい方がいいかい? 客が君だとは思いも寄らなかったが……私に何の用かな、来栖君」
 来栖弘海は、大貫に勧められたソファーに腰を下ろした。
「最近は、日が落ちると随分涼しくなりましたから……出来たら暖かいものをいただけますか?」
 大貫は、壁際にしつらえたミニバーのカウンターでコーヒーメーカーの用意をする。
「私には、君の来訪を受けるような理由などないはずだ。それとも前に会ったときの事で、怪我の治療代でも要求に来たのかな? 手加減したつもりだったが……」
「とんでもない! 僕は、あこがれの大先輩に会いたくて来たんです」
 テーブルに肘をつき、両手の指を組んで上目遣いに見つめる来栖の口元には意味深な笑みが浮かんでいる。大貫は笑顔でテーブルにコーヒーを置いたが、来訪者を見つめる目は冷たかった。
「確かに私は、叢雲学園のOBだ。しかし、あいにく美術部に在籍したことはなくてね、君に先輩呼ばわりされる覚えはないよ」
「では秋本遼の事で、お訪ねしたのだと言ったら?」
「遼に、近づくなと言ったはずだ。警告が足りなかったかね?」
 やれやれ、と、来栖はソファーの背にもたれる。
「どうして秋本には、お節介な保護者が何人もくっついているのかな? 大貫さん、あなたといい篠宮といい……須刈までがそうだ。まあ、それだけあいつには人を引き付ける何かがあるんだろうけどね。でも貴方にとって秋本遼は、何か特別な存在だったのでは?」
「どういう、意味かな?」
 来栖はしばらく無言のまま大貫を見つめていたが、やがて意を決したように口を開く。
「榊原江里香、あの石膏像を創ったのは貴方でしょう?」
 一瞬、大貫は呆気にとられたように目を見はり、すぐに困惑の笑みを浮かべた。
「何を言い出すかと思えば……。一体どこからそんな話になるのかね?」
「誤魔化さないで下さい。僕はもう、フィギュアモデルを作り始めて長いんですが、そもそもこの世界に興味を持った切っ掛けは、小学一年の時に偶然手にした雑誌だったんです。それから毎月買うようになったフィギュアモデルの専門誌で一番の目的は、毎号グラビアページを飾っている憧れの人の新作だった。その人の本名や素性は決して明かされませんでしたが、長い黒髪の美しい女性をいつもモチーフにしていたんです……。緻密で、美しくて、いつかこれ以上の作品を創ることが目標になった。だけど、いつの間にか本誌で見かけなくなって……がっかりして雑誌のバックナンバーまで探し歩いたくらいだ。ところが数年前、都内のガレージキットの即売会に行った時、参考作品で展示されていた帆船模型を見て驚きました。その帆船のフィギュアヘッドを飾る女神の像は、間違いなく同じ人が制作したものだとわかったからです。僕が、見間違うはずはない」
「まさかそれが私だとでも? 私はマリンレジャー会社の経営者だ。そういったマニア的な趣味とは無縁だね」
「本当に、そうですか? その帆船模型を今所有しているのが、僕のネットでの友人なんですが、実はそいつから聞き出したのが貴方の名だったんですよ。その友人は、フィギュア雑誌の編集部にツテがあって、わざわざ調べてくれたんだ。不思議な繋がりですね? その人物が榊原江里香の叔父だったなんて……もしかしたら、貴方は自分の創る女性像を彼女と重ねていたのでは? だがやがて満足しきれなくなって本物のマスクが欲しくなったとしたら? 僕もブロンズを創るときに型どりをしますが、呼吸出来るようにすると肝心の唇や鼻の形が綺麗にとれない。デスマスクなら恐らく……」
「下らない発想だな、もし君が遼をそういった目で見ているのだとしたら実にけしからん。不愉快だ、帰りたまえ。これ以上君の話には付き合いきれないよ」
「いいんですか? 僕の友人や警察は、榊原絵里香に絡んだフィギュアモデルの制作者を捜している。僕が黙っていれば、たぶん貴方まで行き着くことはないでしょう。貴方が殺人犯かどうかなんて、どうでもいいことなんだ。僕は秋本が欲しい、それだけです。貴方が口を利いてくれれば、たぶん秋本は嫌と言わない。どうです? 取り引きしませんか?」
「大人しく、帰ってくれればよいものを……」
 大貫は深く溜息をついた。
「確かに君の言うとおり、私は以前フィギュアを制作していた。しかし随分と昔の話で、モデルは江里香じゃなく私の姉なんだよ。たとえそのことが警察に知れたとしても、困ることなど何もない……今となってはね」
 期待した結果が得られないと解ったのか、ようやく来栖は諦めたように席を立った。
「わかりました、帰ります。今の話は、どうか無かったことにして下さい。秋本をモデルに欲しくて、ちょっとした張ったりを賭けただけです。貴方のことを他の人に話したりはしませんから」
 ドアに向かう来栖の背を、暫く黙して見送っていた大貫は思いついて声をかけた。
「……待ちたまえ、来栖君。君の言動は腹に据えかねるが、熱意だけは認めてあげようじゃないか」
「えっ?」
 意想外の言葉に驚いて来栖が振り返ると、傍に大貫は歩み寄った。
「そうだ……せっかく来てくれたんだし、良かったら私の作品を見ていかないかね? 遼から聞いているが、君は美術的才能に長けているそうだね、憧れていると言われて悪い気はしないし、私の作品が君の向学の為になれば嬉しいよ」
 少し、迷うように来栖は視線を泳がせた。が、手を肩に置き親しげに笑いかけると、気持ちを決めたように頷く。
「あの、さっきは変なこと言ってすみませんでした。本当に作品を見せて貰えるんですか? 本物が見られるなんて、願ってもないけど……」
「もちろんだよ、では私の自室に案内しよう」
 大貫は、来栖を促し部屋を出た。


 来栖弘海が素直に約束を守るとは、初めから期待していなかった。何しろ自分は嫌われている、こられなかった理由など後でどうにでもなるだろう。
(やっぱし、すっぽかされたかなぁ……)
 須刈アキラはそう思いながらも夜まで待ち、来栖の家に電話をかけてみた。しかし応対した母親は、冷たい口調で「土曜から館山の友人宅に行っていて、いつ帰るかわからない」と言う。その時少し嫌な予感がして、館山の友人の名を聞き出そうとしたが母親にはわからない様子だった。仕方なくアキラは、月曜日に直接本人を問いただす事にして、その場は電話を切った。
 しかし月曜日、来栖は学園に姿を現さず、水曜日になって両親が警察に捜索願いを出したらしいと、アキラの耳にも噂が入ってきた。予感が、現実にならないことを願いながらも胸騒ぎが抑えられない。
「秋本、おまえ神崎刑事の携帯番号知ってるか?」
 昼休み、体育館で学園祭の準備をしている秋本遼をようやく見つけて、アキラは声をかけた。
「えっ、ええ……わかりますよ」
 遼が上着のポケットから携帯を取り出す。
「なんか、わかったんですか?」
 そのやり取りに気が付いて、どうやら手伝いをさせられているらしい優樹が、組み立て中の展示版下から興味深そうに顔を出した。アキラは思案を巡らせ、重い口を開く。
「日曜日、来栖と会う約束をしてたんだが……すっぽかされてね。まあ、それは予想してたんだけど……」
「来栖先輩、土曜日から行方不明らしいですね……」
 神崎の番号を表示して、遼が自分の携帯をアキラに渡す。
「ちょっと借りるよ」
 アキラは場を外し、電話をかけた。事情を説明すると、意外にも神崎は「解った、これからすぐにそちらに行こう」と言っただけだった。厳しく責められることを覚悟していたアキラの心中に、むしろ不安が増幅する。それと共に、信頼を裏切った罪悪感がわき上がった。心配そうに見ていた遼に携帯を返し、苦笑する。
「今から、神崎刑事がこちらに来るそうだ。学園祭の邪魔にならないように『ゆりあらす』で話が聞きたいというから、すまないが二人とも午後の授業をエスケープして付き合ってもらえるかな」
「いいですよ、でも……一体何があったんですか?」
「来栖に何かあったら、俺のせいだ」
 そう言ってアキラは、自分でも気付かないほど強く手を握りしめていた。


 田村に車で迎えに来てもらい、遼、優樹、アキラの三人は『ゆりあらす』に向かった。詳しい話は向こうに着いてからとアキラは何も話さないが、その苦渋の表情から漠然とした胸騒ぎを遼は感じていた。彼らを迎えた神崎の表情はいつになく硬く、最近見せるようになった気さくな友人の顔は微塵もない。それはまさに、遼が美術室で初めて会った時に見た刑事の顔だった。
「言ったはずだ、須刈君」
 リビングでテーブルを挟み向かい合うと神崎は、静かに、しかし断固とした口調で言い放った。
「軽率でした……申し訳ありません」
 アキラは素直に詫びて、目を伏せる。
「来栖先輩に何かあったのか? 俺達にもわかるように説明してくれよ」
 何事かを察したのだろう優樹の問いに、神崎が小さく溜息をついた。
「来栖君は、石膏像制作者の話を須刈君から聞いて、思い当たる人物に会いに行ったのかも知れないんだ」
 予感が逃れようのない事実として目の前に突きつけられ、遼は愕然とした。犯人を捜したいと願い警察の真似事をした結果、もし関係のない人間が犠牲になったとしたら責任は自分にある。悔恨に唇を噛むと、アキラが「大丈夫だ」と言うように手を重ねた。
「多分、来栖は何か切り札を掴む事が出来たんだ。そして確かめに行った……目的は解らないが、都合のいいカードを得るためにね。あいつの性格はわかっていたはずなのに、危険性を軽く見ていた」
 アキラの口調は冷静だが、いつもより気持ち弱気に聞こえる。
「なんだよ、あんなヤツどうなろうと勝手じゃないか? まだ事件に関係してるとは、限らないんだし」
 面白くなさそうに呟いた優樹を、遼はきつく睨んだ。
「来栖先輩がどんな人間であろうと、君にそんなことを言う資格はない。僕も彼の事はあまり好きじゃないけど……だからといってどうなってもいいと言うのは間違っているよ。君は本気でそう思うのかい?」
 途端、優樹は赤面した。
「……悪かった、もう言わないよ」
 神崎が意外そうな顔を向けたが構わず、遼は「手掛かりは?」と尋ねる。すると、神崎は上着のポケットから小さなメモリースティックを取り出した。
「須刈君から電話をもらってすぐに、館山署の少年課から来栖君のパソコンデータをコピーしてもらってきた。捜索願が出された時に手掛かりとして預かったらしいが……ブックマーク先と住所録だ」
「じゃあ、来栖の友人関係は調査済みですね?」
 アキラに聞かれて神崎は、苦々しそうに笑った。
「申し訳ないことに、警察は事件性のない行方不明者の捜索にはあまり熱心じゃないんだ。データはまったく手つかずでね、急いで全員に当たってくれるように頼んできたから、そっちは任せてくれたまえ。あとは、そうだな……。彼がどんな人物を心当たりにしたのかわかると絞り込めるんだが、何か知らないかい?」
「来栖は自己顕示欲の強い男ですから、どこかに必ず、何か形跡を残しているはずです。秋本は何か聞いていないか?」
「いえ……何も。先輩は最近、僕にあまり近づかなかったし……」
「そう言えば俺も少し気になっていたんだった。ヤツと何かあったのか?」
 遼は少し決まり悪そうに、アキラに向けた目を臥せた。
「別に、大したことじゃありません。館山の画材屋で先輩に会った時、ちょっと嫌がらせのようなことをされて……一緒にいた大貫の叔父さんにきつく注意されたんです」
「何をされたんだよ」
  優樹が真面目な顔で問いただす。
「だから、大したことじゃないって言ってるだろう? いつものように、モデルになれって迫られただけさ」
 顔を上げ、遼は笑顔で答えた。余計なことを言えば優樹は怒り出すに違いなく、今はなだめている時間など無い。遼の意図を察したのか、アキラもそれ以上は聞かなかった。
「学園内に友達少ないやつだったからなぁ……情報を集めようがない。……そうだ、ヤツの仲間の掲示板を見てみようか? 何か書いてあるかも知れない」
「その掲示板なら、今警察で調べているところだよ。手掛かりがあれば私に連絡があるはずだ」
 外に手はないかと目で問い賭けられ、何かを思いついたアキラが笑みを浮かべた。
「神崎さんが持ってきてくれたメモリスティックが役に立つかも知れません……」
「関連性のある人物が解るのか?」
「いえ、ブックマークから裏サイトを調べるんですよ」
「裏サイト?」
 怪訝そうな顔の神崎に、アキラは頷く。
「来栖のマニアックな友人が管理するサイトで、表に出せないような作品を紹介したり売買したりするらしいんです。ネットで石膏像制作者を捜すうちに、それらしいサイトがあると解って来栖から聞き出すつもりでした、生憎それが裏目に出てしまいましたが……。早速調べてみます、篠宮、おまえパソコンあるだろう? ちょっと貸してもらえるかな」
「悪ぃ……先輩! 俺のパソコン、もうかなり前から壊れてるんだ。直せば使えると思うけど……」
「ええっ? また?」
 遼は呆れて声を上げる。どういう訳か優樹はパソコンが苦手で、いじると必ずと言っていいほど動作不良を起こしてしまうのだ。バイクのメンテナンスや家電品のハード面の修理は得意だったが、ソフトに関しては必要最低限の事しかやらないため、たぶんウイルスにでもやられたのだろう。優樹の部屋を訪れるたびにソフトのインストールをし直すのは、遼のお定まりの仕事となっていた。
「困ったな、修理してる時間なんてないぞ。仕方ない急いで寮に戻ろう、俺のPCはMacだがデータは読めるし……」
 アキラが席を立ちかけると、思いついて優樹が呼び止める。
「そういえば事務室に、田村さんのパソコンが二台あった。片方は俺のと使い方が違うから多分マックだと思うけど、もう一台はウィンドウズマシンじゃないかな? このペンションのホームページを作ってるくらいだから通信速度も速いよ」
「そいつは好都合、貸してもらえるか聞いてみよう 」
 アキラはそう言うと、神崎と顔を見合わせ頷いた。

 事情を田村に話しアキラは事務室のコンピューターの前に座ると、来栖のブックマークにあるサイトを開いた。
「フィギュア関連のサイトで幾つかの掲示板を見るうちに、ハンドルネームを変えてあるが明らかに来栖の書き込みと解るものがあちこちにあってね、そこから裏サイトの存在を知ったんだ。来栖が約束の日に来なかったから結局自分で調べて裏サイト自体は苦もなく見つかったんだけど、隠しページを見つけるのが大変だったよ。」
 開いたサイトから裏サイトに飛び、コンテンツを幾つも巡って隠しページの入り口をようやく開くと、パズルのような数字と英字を打ち込む。
「ほら、開いた」
「適わないな、まったく……」
 呆れて神崎が苦笑した。
「裏サイトのハンドルネームは『アンテロース』。ギリシャ神話に出てくる英雄の名だけど、そのままあいつの趣味が出てるよ。でも、やってることを知ったらプラトンが顔面蒼白になりそうだけどな」
 隠しページの中は、かなりマニアックな趣味に偏ったアダルトフィギュアの売買が中心になっていて、横からモニターを覗いていた優樹はすぐに怒ったような顔になると、ふい、と横を向いてしまった。
 掲示板のパスワードを入れスレッドを調べると、来栖の一番最近の書き込みは先週金曜日の深夜になっていた。
”フィギュアヘッドの女神が見つかった。制作者に会って、今度こそ自分の欲しいものを手に入れてみせる“
「どういう……意味だろう?」
 首を傾げた神崎の後ろから、モニターを覗き込んでいた田村が説明する。
「フィギュアヘッドとは、帆船の艦首に付いている彫刻像のことではないかな? 女神や軍神をシンボルに利用した物が多いですし……。帆船模型を作る者の中にはフィギュアヘッドのシンボルを別に作ってもらう人もいるようですよ、模型作りとは別の技術が必要ですから……」
「では、フィギュアヘッドの売買ルートもあるわけですか?」
「……さあ、どうかな? 詳しくは知りませんが……ところで私は、これからちょっと出かけなくてはならないんですよ。須刈君にならマシンを任せても大丈夫そうなので、このまま自由に使ってください」
「ありがとうございます、このマシン使いやすいですよ。まだ調べてみたい事があるのでもう少しお借りしますが、篠宮みたいにフリーズはさせないから安心してください」
 嬉しそうに応えたアキラに、田村は笑って頷いた。

 掲示板を過去に遡っても、これといった手掛かりは見つからないようだった。来栖の書き込みには誰もレスを入れておらず、アキラは「打つ手なし」と言って肩をすくめる。
「来栖くんの欲しいものとは、一体なんだろう?」
 思案顔で呟く神埼に、アキラが苦笑した。
「俺は秋本のことだと思いますよ……あいつはまるでストーカーでしたからね。秋本の話では、大貫さんに注意されてからおとなしかったようですが、それぐらいで諦めるようなやつじゃない」
「遼君を? ああ、さっき聞いたモデルの件だね。しかしフィギュア制作者との接点は何もないだろう? それとも外の誰かに、モデルを申し込まれたことが?」
 問いかけに遼は、不機嫌な顔で「ありません!」と応じる。来栖が心配ではあるが、神崎にまで興味本位な目で見られたくないのが正直なところだ。
「取り敢えず、石膏像制作者はフィギュアヘッドの制作も手がける人物と見て当たってみれば絞り込めそうだ。須刈君はネットで……」
 言いかけて突然、神埼は胸ポケットの携帯を取り出した。着信音はなく、マナーモードにしてあるのだろう。
「あっ、濱田さん……はい。……はい、解りました」
 用件だけを聞いて、すぐに電話を切る。
「……ようやく、殺された成田智子と付き合いのあった男が浮かんだよ……サーファーのように肌と髪の色が潮焼けした四十代半ばの体格の良い男性で、クルーザーを所有しているらしい。彼女が最近よく利用していた幕張にあるショッピングモールのテナント定員が覚えていたそうだ。その男性と石膏像制作者が同一人物とは限らないが、石膏像が美術室に置かれたままにされていたことからして何らかの関連性があると見ていいだろう。成田智子に関わる人間の中には、捜査上で疑わしい人物が他に見あたらなかったからね。クルーザーを持つほどだからそれなりに社会的地位があり、なおかつフィギュア製作に関わる者ということか……?」
 神崎の言葉を受けてアキラが呟いた。
「来栖は館山に行くと言って帰らなかった。そうすると、その男は館山に住んでいるか、もしくは職場があるということになりますね。フィギュアヘッドの女神がどんな物かわかると、制作者を捜すのが楽なんだけどなぁ……そうだ、警察で来栖のコレクションを調べてみては?」
「そうだな、管轄は違うが直ぐ所轄に連絡して……」
 その時突然、今まで部外者のような顔をしていた優樹が叫んだ。
「あっ、そうだっ! リビングのテレビの上にある帆船模型に、胸がでかくて羽の付いた女の人形が付いてたけど、それのことをフィギュアヘッドっていうんじゃないのか? あれって、やっぱり大貫さんが自分で作ったものなのかな?」
 それは優樹にとって他意のない思いつきから出た言葉だった。しかし遼の背に、冷たい戦慄が走る。成田智子と交際していたらしい相手の風貌、帆船模型のフィギュアヘッド、館山で消えた来栖の消息。そして、遼には覚えがあった……リビングにある帆船の女神像は、誰かに似ている。
「神崎さん……僕は以前、田村さんから聞いたことがあります。大貫の叔父さんは、制作物の全てを自分の手で完成させる人だと……」
 真摯な目で、神崎は遼を見返した。
「待ちたまえ、遼君……私も一つの可能性を考えてはいるが、あくまで推測に過ぎない。来栖君のコレクションを調べて同一制作者と確認できたとしても、まだ確証を得たとは言いきれないんだ」
「でも……僕は……すぐにでも直接会って確かめたいんです」
 複雑な表情で、そのまま神崎は黙り込んだ。アキラも察して顔を俯ける。異様な空気に困惑していた優樹だが、遅れて気が付き勢いよく立ち上がった。
「なんだよ! まさかみんなで大貫さんを疑ってるんじゃないだろうなっ? ふざけんなよっ、俺は信じねぇぞっ!」
 遼は冷静な目で、まっすぐに優樹を見つめた。
「神埼さんの話と、今まで得た情報からすると可能性が否定できないんだよ……優樹。僕だって、そんなはずはないと信じたい……でも、悪い条件ばかりが当てはまるんだ。だから今すぐにでも叔父さんに会いにいって、否定の言葉が聞きたい。だって、そんな事……」
 あり得ないと、信じたかった。疑う自分を蔑みたかった。それでも一連の可能性が胸を締め付け、優樹を睨んだ双眼から涙が溢れそうになる。
「悪ぃ……また怒なっちまったな、おまえの気持ちも考えないでさ」
 優樹は決まり悪そうに顔を俯けた。
「頼むからさ、泣くんじゃねぇよ。ええっと……そうだ! 田村さんに確かめてみればいいじゃないか、中学校からの親友なんだし。違うって言ってくれるよ、きっと……」
 だが優樹の言葉に、アキラが、あっ、と、声をあげた。
「もしかして田村さん、大貫さんのところに行ったんじゃないか? 俺達の話を聞いてた時、妙に深刻な顔してたぞ」
「そうだとしたら急いだ方がいい、三人とも車に」
 すっと席を立った神崎の、無意識に銃の所在を確かめる仕草が遼には解った。


 昼間の月は、はがれ落ちた鱗の片鱗のようで見苦しいとさえ思う。夜になればなお、自ら輝くことも叶わず、太陽の情けで暗闇に存在を誇示しようとする姿は醜く浅ましい。
 西日を避けるために事務所のブラインドを閉じ、大貫直人はデスクに向き直った。真から嫌う白い月を、日に一度は確認せずにいられないのは皮肉なものだと思う。しかしそれが、紛れもない己の姿なのだと知っているのだ。
「社長、田村さんがいらっしゃいましたよ」
「そうか……すまないが、これから私は田村と出かけてくる。帰りは何時になるかわからないから、後は頼むよ」
 田村の来訪を伝えた女子社員に大貫は笑顔で応え、事務室の片隅をパネルで仕切った来客用スペースに向かった。田村は革張りのソファから立ち上がり、険しい表情で大貫と対峙する。
「用件は察しているよ……場所を、変えよう」
「ああ、そうだな」
 二人は連れだって裏手に続く非常階段を下りた。

 通用口を出てビル裏の従業員用駐車場を左手に回ると、備品の管理やクルーザーの簡単な整備に利用している二階建ガレージがある。大貫はリモコンで電動シャッターを開け、田村と中に入って電気をつけた。
「殺風景なところで悪いな。だが、ここなら誰かの邪魔が入ることはないだろう、このリモコンがなければ入れないからな」
 シャッターを閉じ、大貫は中にある自動販売機で冷たいコーヒーを二つ買うと、一つを田村に渡して自分の缶の口を切った。しかし田村は大貫から目を逸らさず、手の指が白くなるほど強く缶を握りしめている。
「直人、おまえが……そうなのか? おまえが江里香ちゃんを……」
「違う、と言えば信じるか?」
 田村は何も答えない。大貫は缶を工具棚に置いた。
「由起夫、おまえはきっと信じると言うだろう。例え間違っているとわかっていても、俺の言うことを信じるとね。笑えるじゃないか。俺はとうの昔に、おまえを信じることを止めてしまったのにな」
「どういう……ことだ?」
「いつまでも親友だと思い込んでいたのは、おまえだけだったと言うことさ。煩わしいんだよ、その押し付けがましさが。確かにおまえは、俺にとって初めて友人と呼べる存在だった。引き籠もりがちでフィギュアモデルや模型ばかり作っていた俺を外に連れだし、多くの友人を紹介し、明るく快活な人間にした。だが、それを俺が望んでいたと思うか? おまえは自分が親友を救ってやったと英雄気取りだったかも知れない。しかし俺が、たった一人の友人を失いたくないばかりに無理をして、自分を偽っていたのだとしたら? ……それでも、おまえが居てくれればそれで良かった。おまえだけは俺のことをわかってくれていると思っていた」
「俺の所為……なのか?」
 大貫は、声を立てて笑った。甲高いその笑い声がガレージの広い空間にこだまし、田村を威圧する。
「何が、可笑しいんだ?」
「自分の所為にすれば満足か? おまえはいつもそうだな。自分の所為にして、謝ればいいと思っているんだ。謝罪した者は、自分の中で解決してそれでお終いさ。だが傷ついた者はそれでお終いには出来ないんだよ。所詮おまえを信じた俺が、愚かだったというわけだ」
 大貫の言わんとすることを計りかねて、田村は彼を睨んだ。
「いったい俺が、何をした? おまえをいつ裏切った? 教えてくれ直人、何故おまえは……」
 まだ、江里香を手に掛けたのが自分だと、大貫が言ったわけではない。まだ……。
「そうさ江里香を殺したのは、私だ」
 まるで冷水を浴びせられたかのように、田村の全身を冷たい戦慄が襲う。血の気が引き、震えそうになる膝を、必死に堪えた。
「江里香ちゃんを、姪として愛していたんじゃないのか?」
 無言で田村を見つめる彼の表情は、まるで石膏像のように渇いた生気のない物だった。しかし田村は知っていた。それは彼が感情を抑えようとするとき、自ら作り出す顔なのだと。
「……おまえは俺に、早く結婚して幸せになれと言ったな。愛する人を見つけろと。そして自分はさっさと相手を見つけ、これが幸せの形だとばかりに押しつけようとした。その時はまだ、おまえの幸せを俺も願っていた。親友よりも女を取ったと周りから言われても構わなかった。だが姉さんの最初の結婚が、俺を引き離す為におまえが意見した所為だと知ったときから、少しずつ信頼を失っていったんだ。姉さんと榊原が離婚の話し合いをしていたとき、榊原を責めた俺におまえは言ったな? いつまでも自分の姉に執着するのはおかしいと。その時俺は、おまえは味方ではなかったと思い知ったんだよ」
「直人……」
「おまえの幸せの形が、俺の幸せの形だと何故言える? 理解しようと思わずに信じて受け入れろと遼に言ったのは誰だ? おまえは偽善者なのさ……それがわかったとき、俺は俺の幸せの形を自分で手に入れることにしたんだ」
 大貫の顔に浮かんだ、それは既に狂気の笑みだった。
「ミス叢雲だった頃の、姉の姿をね」
 田村に言葉はない。大貫を追いつめたのが他でもない自分だったと知った今、いったい何が言えるというのだろう。それでもまだ、一縷の望みをかけて語りかけた。
「頼む直人……自首してくれ、俺もついていく。成田智子に近づいたのは、あの石膏像を人目に付く所に置きたかったからじゃないのか? 学園に死体の入った石膏像を送ったのも、誰かに気づいて欲しかったからじゃないのか?」
 大貫の笑みが、一瞬陰った。
「せっかくの芸術作品が、暗い倉庫の中で埃を被っていることが厭だっただけだ。まさか、あれが壊れて死体が発見されるとは思わなかったよ。それも遼が見つけてしまうとは、とんだ誤算だった。その所為で彼女から問いつめられ、手に掛けてしまうことになったが……。刑事と遼達が訪ねてきたときはさすがに観念したがね、私を疑ってきたのではないと知って、かえって楽しかったよ。自分の二面性を演じるのは……」
「本当に、そうなのか? 本心では救いを求めていたんじゃないのか? 俺が遼に言った言葉に偽りはない。いつも俺は、これで良いのかと、自問していた。おまえに何をしてやれるかと。誤解があったなら、何故早く言ってくれなかった? そうすれば……」
「救えると? つくづくおめでたいヤツだな。もう、たくさんだ!」
 大貫はそう言い放つと自分と田村の間にあった工具棚を引き倒した。金属製の工具や、廃棄予定の細かいクルーザーのパーツが田村の頭上に降り注ぐ。
「直人っ!」
 身を庇い、床に臥せた田村の目に、シャッターの向こうに消える大貫の姿が映った。